『スピンオフ・ノヴェル「どきわく・フィフティーズ」南極少年』DANSENノベルスデジタル:邑 游筰(むら ゆうさく) / 著

『スピンオフ・ノヴェル「どきわく・フィフティーズ」南極少年』DANSENノベルスデジタル:邑 游筰(むら ゆうさく) / 著『スピンオフ・ノヴェル「どきわく・フィフティーズ」南極少年』DANSENノベルスデジタル:邑 游筰(むら ゆうさく) / 著

『スピンオフ・ノヴェル「どきわく・フィフティーズ」南極少年』DANSENノベルスデジタル:邑 游筰(むら ゆうさく) / 著

まだ太平洋戦争の只中にあった一九四五年一月、京都北部の港町・舞鶴に生まれた少年は、美しい舞鶴湾と引き揚げ船の姿を見て、海と船へのあこがれを募らせる。

父の急死、それに続く家の没落を軽て、隣町の母子寮へ引っ越した少年は、窮乏生活のなか、日本が初めて参加することになった南極観測に一縷の望みを託すようになる。

暴風圏を乗り越え、氷の海に挑む砕氷船「宗谷」は、苦しみに耐える少年の姿そのものに、ダブって映ったのだ。

日本の南極観測で南極にめざめた少年は、南極観測の資料を基に、中学一年生のとき、夏休みの自由研究に「南極」を取り上げ、みごとに最優秀賞に輝く。次の年も東京の鯨類研究所の協力を得て、「南氷洋の捕鯨船団」の研究で最優秀賞を獲った少年だったが、中学三年生になると、進路に悩むようになる。

そんななか知り合った担任の教師によって、少年の心は救われる。先生は少年にとって、父親のような存在だった。が、中学卒業の日、少年は先生の死を知る。

そして、高校生になった少年は、「宗谷」の乗組員に自分の写真を渡して、南極大陸に埋めてくれるよう頼む。

高校三年生になった少年は、またも進学か就職かで悩むが、少年が選んだのは南極行きや大学をあきらめて、高速道路や有料道路の建設や管理で知られる日本道路公団だった。

地元の京都・大阪ではなく、どうしても東京へ出たかった少年の夢が、道路公団に就職することで叶ったのだ。

やがてリタイアして初老になった少年だったが、彼の胸の裡には見果てぬ南極への夢が、まだ沸々と漲っていた。

・・・以上、『スピンオフ・ノヴェル「どきわく・フィフティーズ」南極少年』あらすじ より

続きは『スピンオフ・ノヴェル「どきわく・フィフティーズ」南極少年』DANSENノベルスデジタル