80年代の出来事、流行、カルチャーがまるごと一冊〈きらめき・エイティーズ〉

80年代の出来事、流行、カルチャーがまるごと一冊〈きらめき・エイティーズ〉

1979 序章 いとしのエリー:〈きらめき・エイティーズ〉より

80年代の出来事、流行、カルチャーがまるごと一冊〈きらめき・エイティーズ〉

1979年、夏、湘南。健介は、海辺の道に沿って、クルマを走らせていた。

このあいだ手に入れたばかりのフォルクスワーゲン・タイプⅡのマイクロバス* は、63年式という16
年も前の旧車であるにもかかわらず、快調なエンジン音を響かせていた。と、突然、前方が白いモヤのようなものに包まれた。とともに、まわりが暗い闇におおわれる。あわててヘッドライトを点け、目を凝らすと、左前方にバスの停留所があり、そこにひとりのオンナが立っているのが見えた。そこだけ妙な冷気が立ち昇っているような感じがする。

思わず急ブレーキを踏んで停車した健介は、クルマのドアを開けてそのオンナに近づいた。オンナは向こうを向いたままだった。

「どうしたんですか?」

白いコートのような服を着たオンナは、静かに振り返った。

いかにも美人を思わせる切れ長の大きな瞳が印象的だが、それよりも顔半分をおおう白い大きなマスクが、異様な雰囲気をつくっている。

ギョッとした健介が、なにかいわなければと口を開こうとするより先に、オンナが一、二歩、歩みよって、

「わたし、きれい?」と、呼びかけてきた。

きれいもなにもマスクをはずしてくれなきゃわからないよ、と、おののく表情のまま、健介はつい「きれいだよ」と応えてしまっていた。

「これでも?」といって、オンナは白い大きなマスクをおもむろにはずす。

そこにあらわれたのは、なんと耳元まで裂けた真っ赤な大きな口! そして、そのオンナは、ニタッと笑った。

健介は、全身の毛穴がキュッと閉じるのを覚えた。早く逃げなくちゃ、とあわててクルマにもどろうとするが、足がもつれて思うように動けない。ようやくクルマにたどり着いたものの、今度はドアが開かない……。

背後には忍び寄るオンナの気配──。しかし、どうやってもクルマのドアは開かない。

焦りに焦った健介は、ついに大きな叫び声をあげようとした。しかし、その声はくぐもって、大きくはならない。もう一度、今度は腹の底から叫び声を絞り出した。

「アーーッッッ!!」

その声にうなされて、健介は飛び起きた。あたりは真っ暗闇。自分のベッドの上に、健介は汗びっしょりの姿で起き上がっていた。

枕もとの時計は午前四時を指している。きょうも暑くなりそうな空気が、すでにあたり一帯をおおっていた。

「それってさあ、あれじゃん。口裂け女* !」

愛香の素っ頓狂な声が、店内に大きく響いた。

菊池健介が今朝見た夢の話を聞いて、岡本愛香が叫んだのだ。

「口裂け女ってさあ、べっこうあめ五本渡すと赦してくれるのよ。知ってた?」

愛香が得々として続ける。

「そして、ポマード!って叫んで逃げればいいんだろ」

そばでインベーダーゲーム* に夢中になっている安間英之が口を出した。

「よお、ヒデ、そんなことよく知ってるなあ」

健介が感心した顔つきで言った。

東京・目白にある「ひかり」という店は、昼間は喫茶店、夜は酒も飲ませるスナックとして営業している。10人も入ればいっぱいになってしまう小さなその店は、健介たちのたまり場のひとつとなっていた。

・・・以上、〈きらめき・エイティーズ〉1979 序章 いとしのエリー より

続きは『きらめき・エイティーズ』DANSENノベルスデジタル