「取るに足らぬこと、些細なこと」を英語でトリビア trivia といい、当時のテレビ番組『トリビアの泉』以来、大変な雑学、蘊蓄ブームを巻き起こすようになっているが、ファッションの世界にはこれに類するトリビアがことのほか多く見受けられる。たとえば「腹巻き」は16世紀のヨーロッパで生まれ、日本では明治時代にキモノから洋服に変化したときに帯の代わりに用いられたという。またトートバッグはもともとキャンプ地で水を運ぶために使われていた、というのもこれを知らない人にとっては「目からウロコ」の話となるだろう。ファッションに関するトリビアは語源や発生にまつわる話が多いけれど、それを知っているとつい誰かに自慢したくなるものだ。それこそトリビアのトリビアたるゆえんなのだが、あの女性ファッション誌『JJ』のタイトルが「女性自身」のアルファベット綴りの略からきているって知っていました?

日本人による最初の洋服店は「舶来屋」と呼ばれた

ファッション・トリビア蘊蓄学:日本人による最初の洋服店は「舶来屋」と呼ばれた

日本に初めて洋服なるものが伝わったのは、1543(天文12)年のポルトガル船「種子島」漂着の時で、この時、鉄砲とともに洋服も献上された。しかし、日本の洋服の歴史が本格化するのは、やはり1853(嘉永6)年の「黒船来航」の時以降となるだろう。この時、日本人は初めて西洋式の軍服に接したわけだが、それから間もなく洋服を扱う専門店が開店している。それは横浜・弁天通りにできた「大黒屋」という店で、1864(元治元)年のこと。当時、洋服店という呼び名はまだなくて、こうした店は「舶来屋」と呼ばれていた。今でいえばインポートショップとなろうか。ついでながら洋品店は「唐物屋(とうぶつや)」といい、婦人服店は「女唐服(めとうふく)」といった。「西洋服」という言葉が使われるようになるのは慶応年間に入ってからで、それまでは「南蛮服」とか「異人服」などと呼ばれていたほか、「きゅうくつ袋」「段袋」という呼称もあった。「洋服」という言い方が一般化するのは1879(明治12)年以降のことである。