dansen(月刊 男子専科)No.200 (1980年(昭和55年)11月発行)デジタル

'70年代はデザイナーズ・エイジだったかもしれない。サンローランの服を着て文太は帰ってきた。:dansen(月刊 男子専科)No.200 (1980年(昭和55年)11月発行)より

'70年代になると、ファッションをつくり出す人たちが注目されるようになった。まず服をつくるデザイナー、それを着るモデル、それを写すカメラマン、ファッション画を描くイラストレーター。その他、スタイリストやコーディネーターなど、新しい名前の仕事も出てきた。なかでもデザイナーは、ファッション・ピープルの旗手になった。107号(1971年)で、三宅一生さんが登場したのも、時の流れだった。このときは、未来派デザイナーNo.1として紹介された。

忘れられないのは”文太帰る”の企画だった。かつて俳優モデル時代に、初々しく登場した菅原文太さんが、ヤクザ映画の大スターとなって、再び本誌に帰ってきた。文太アニィが、華麗なヨーロピアン・ファッションを着こなしたこの企画は、意外性も十分あって大成功だった。

この企画を成功させたスタッフは、コスチューム・ディレクター北本正孟、カメラ操上和美、そしてサンローランという、神通力を持ったデザイナーの服だった。デザイナーは仕掛人の、最良のパートナーになった。

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dansen(月刊 男子専科)No.200 (1980年(昭和55年)11月発行)デジタル

dansen(月刊 男子専科)No.200 (1980年(昭和55年)11月発行)デジタルより

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