DANSEN FASHION 哲学 No.124:"クリスタル”は現代の哀しさ(1)

1982年 男子專科 より

田中康夫 昭和31年4月12日、東京生まれ。昭和51年一橋大学法学部入学。昭和55年、在学中に「なんとなく、クリスタル」で文芸賞を受賞。現在までに107万部を売る。現代若者風俗を指して、本の題名をもじった”クリスタル族”なる流行語を生む

自分身身の存在を確かめるために 心の中の空洞を少しでも埋めるために 洋服にこだわるという行為を 開始しはじめているようです。

つい最近まで、洋服に対する関心が、なくなってしまっていたみたいです。

もう、僕の場合は、小さな時から、洋服への関心ってのが、ずいぶんとありましたから、このところの、洋服に対するアパシー度というのは、自分でも、ちょっと恐くなってきちやっていたくらいです。

どうして、洋服に関心がなくなってきてしまっていたかってことを、ずっと、考えていたのですけれど、このアパシー度は、洋服に限らず、僕の身の回りのもの、ほとんどすべてに及んでいたような気がしています。

僕の場合、「なんとなく、クリスタル」という本を書いたことによって、マスコミに登場してきたためか、多くの方に、非常に物にこだわる少年だと思われているみたいです。

「なんとなく、クリスタル」というのは、本当は、ブランド物語でもなんでもない、むしろ、物の力を借りることによってしか自己証明をすることのできない現代の哀しさを描いているのですが、表面的に文章をお読みになった方には、僕自身もが、いわゆる、ブランド少年であるかのように思われてしまっているみたいです。

それで、よく、「万年筆は何をお使いですか、原稿用紙は、お気に入りの机やイスの写真を撮らせてください」。なんて、電話が、かかってきます。

「万年筆は、どうもニガ手で、なんと、本当は、百円のボール・ペンテルで原稿を書いているのです。原稿用紙は、大学の生協で売っている原稿用紙が、マス目の大きさがちょうど良いものですから、大学の生協へ行って、まとめ買いをしているのです。それに、僕の場合は、小説は近所の区立図書館で書いているものですから、特別なライティング・デスクは持っていないんですよ。ちょっとしたエッセイだと、ダイニング・ルームの机で書いちゃったりします」。

ウソを言っても仕方がないから、こうしたありのままの姿をお話しすると、電話のむこう側で僕の話を聞いていた編集部の人は、露骨に失望したような声を出します。

まあ、人がデビューするときのイメージって大事ですね。

大竹しのぶちゃんは、横に置いておいても、岩崎宏美ちゃんや良美ちゃんなんて、純情な少女だと、芸能関係者以外は、誰もが思っちやっているわけで、恐いものです。

僕の場合は、紹介される時に、必ずといっていいほど、「あのクリスタルを書いた」とか、「クリスタル作家の」なんて形容が上に付いてくるわけです。

最初のうちは、まあ、そんなものかな、と思っていたのですけれど、そのうち、インタビューで必ず聞かれることが、「食べ物は、いつも、何をお食べになられますか。洋服は、どんなものをお選びになられますか」。

だんだんと、そうしたことにこだわることが、はかないことのように思えてきて、それに、そうした質問に、ひとつ、ひとつ、答えていたら、まるで、ピエロのような気がしてきて、最初に書いたように、物に対するアパシーが起きてしまったみたいです。

もっとも、昔の僕は、といったら、小学生の頃から、両親にねだっては、ブレザーを買ってもらったり、蝶ネクタイを付けては喜んで、はしゃいだりしていたみたい。

・・・次回更新に続く