「取るに足らぬこと、些細なこと」を英語でトリビア trivia といい、当時のテレビ番組『トリビアの泉』以来、大変な雑学、蘊蓄ブームを巻き起こすようになっているが、ファッションの世界にはこれに類するトリビアがことのほか多く見受けられる。たとえば「腹巻き」は16世紀のヨーロッパで生まれ、日本では明治時代にキモノから洋服に変化したときに帯の代わりに用いられたという。またトートバッグはもともとキャンプ地で水を運ぶために使われていた、というのもこれを知らない人にとっては「目からウロコ」の話となるだろう。ファッションに関するトリビアは語源や発生にまつわる話が多いけれど、それを知っているとつい誰かに自慢したくなるものだ。それこそトリビアのトリビアたるゆえんなのだが、あの女性ファッション誌『JJ』のタイトルが「女性自身」のアルファベット綴りの略からきているって知っていました?
「モボの統領」と呼ばれた男は二度死んだ
大正時代の末期に生まれたモダンボーイとモダンガールは、昭和に入ると「モボ」「モガ」と短縮して呼ばれるようになる。現代のアメカジやゴートラのように言葉を短縮させて用いる傾向は、このころからあったのだ。そのモボと呼ばれる男たちの中に飛びっきりのオシャレで知られる人物がいた。中村進治郎という若者がそれで、彼は当時最も人気のあった男性雑誌『新青年』にファッションに関する記事を寄せていた。今でいうメンズファッション評論家の走りである。そんな彼が1932(昭和7)年、心中事件を起こす。お相手はレビュー小屋「新宿ムーランルージュ」の歌姫であった18歳の女性。人気絶頂の中で起きた事件だけに「モダン心中」などと騒がれたものだが、実はこれ、彼女は亡くなったが進治郎は辛くも生き残ったのだ。これで文壇を干された後はすっかり落ち目になってしまい、とうとうその2年後に本当に自殺してしまった。享年28歳。ダンディの最後は常に悲惨なのである。