DANSEN FASHION 哲学 No.124:"クリスタル”は現代の哀しさ(2)

1982年 男子專科 より

「なんとなくクリスタル」というのは、本当はブランド物語でもなんでもない。むしろ、物のカを借りることによってしか自己証明をすることのできない現代の哀しさを描いているのですが・・・・・・僕自身も、いわゆるブランド少年であるかのように思われてしまっているみたいです。

今でも、なにかというと、蝶ネクタイをしたがるのは、どうも、その頃からのことらしいけれど、最近は、自分でノットを結ぶ蝶ネイでないと満足できなくなってしまっています。

もちろん、小学生のころは、自分で結べるわけもないから、当然のことながら、ノットができ上がっているのをつけて、ブレザーはこれまた、よくあるお話だけれど、ピノチオ製だったりして。

中学校の時は、制服があったから、白いワイシャツを、ボタン・ダウンにしてみたり、あるいは逆に、当時のデビット・キャシディあたりが着そうな、ロング・ポイントで、しかも、先端が雲母定木の枠みたいになったのを着てみたりして、登校した記憶があります。

で、これが、制服のなかった高校時代ともなると、極致になって、入学2日目から(さすがに1日目は、学生服を着て行ったみたい)パイプド・ステムのパンツに、クリーム色のB・D・シャツ、そして、あの、なつかしいVANのザ・ブレザーマンのブレザーを着て出かけちゃりたりしました。

もつ、気分のほうは、古文や漢文を、しっかり、初歩からお勉強なんていうよりは、春の近郊ハイキングという感じで、そのせいかどうか、一学期末のテストは、かなりの点数を取ってしまうという始末。

当時は、長野県の松本に住んでいたから、ちっとしたお休みの時に、東京へ出てきて洋服を見たりするのが、お楽しみという高校時代。

さて、一般的パターンを踏んで、駿台予備校へ通っていた浪人時代、VANのセールなんぞに行くことで、自分をごまかし、ごまかしして、はいってしまえば、カリキュラムはラクチン、就職は簡単という大学にはいることになりました。

そんなに勉強しなくてもいいのなら、きっと、国立の慶応という雰囲気なのかしらと思って、入学試験の会場へ行ってみると、どうも、一時代前のコートを着た少年ばかり。

これは、どういうことだろう、こんなことでは、入学後のバラ色の人生も怪しいのではと、内心、ショックを受けながらも、いや、しかし、僕の試験会場だけが、たまたま、こういった雰囲気でまとめてみたのかもしれないと、気を取り直して受けた試験。

入学式の日に、その夢は、崩れ去ることになりました。

こうなったら、もう、仕方がないと、1年生の時は、KENTのスーツに、レジメンタル・タイ、ジャケットにアスコット・タイ、コーデュロイ・パンツにスカーフという格好で、週2日くらい、小平のキャンパス(僕の通っていた大学は、3、4年が国立キャンパス)へ行っていたから、まわりでは、首にいつでも何かを巻いている少年ということになっていたみたい。

ところが、2年生になったころ(昭和52年)、例のヨーロピアンにおけるカーキ色ブームが到来。

それまでの、グレーのバギー・パンツには生理的について行けなかった僕も、カーキ色ファッションなら、というので、それまでのワードローブを奥のほうへしまって、メンズ・バツや、ビギの品が、前のほうヘバババーンと並んでしまうようになりました。

しかし、悲しいことに、背丈もあまりなくて、しかも、足のほうも短め、ウエストに比べて、ヒップが大きいという僕には、なかなか、似合うアイテムがありません。

で、あえなく、ダウン。

それからは、おとなし目のトラッドという感じです。

一番最初に書いたように、この間まで、僕は洋服に関してアパシー状態でした。

一度着てしまうと、写真を撮られるようなことでもない限り、何日でも同じものを着続けてしまうという毎日。

やっと、このごろ、そうした状態を脱してきました。

・・・次回更新に続く