ボウ・ブランメルの登場
お洒落な人種はこうした新スポットをいち早く見つける術に長けているものだ。我らがダンディの始祖ボウ・ブランメルもご近所のチェスターフィールド・ストリートで暮らしていた。
騎士道精神はとうに姿を消し、18世紀は新しい能力をもつ資本家や進取の気質に富んだ一部の貴族たちが産業革命下にある英国を動かそうとしていた。こうした時代にあって、求められたのは大英帝国の新たなスタイルだった。パリでもイタリアでもない、独自の英国らしさをファッションでいち早くアピールしたのがボウ・ブランメルであり、建築でいえば英国の新古典主義ジョージア
ン様式だったといえよう。
ダンディはこの時代に登場した新種族だ。ジェントルマンと異なり、ダンディは爵位があろうがなかろうが、資産の大小などとは関係なく存在できる。彼に望まれることはただひとつ。それは目利きの能力である。ボウ・ブランメルはダンディの存在意義を的確かつ辛辣に表現した、最初の人間となった。
この当時、上流階級の間にはグランドツアーが流行していた。グランドツアーとは、貴族の子弟などが家庭教師を伴い1〜2年ほど欧州を遊学し、そこで最新流行の知識や服装を身につけて帰国することをさす。プリンス オブ ウェールズ、後のジョージ4世もグランドツアーから帰国したばかりの頃はフランスにかぶれていた。ルネッサンス様式の館を好み、服装はマカロニ族(華美な布を多用し、髪型をとうもろこし状に編んだイカレポンチな服装)だったらしい。
そんな新しいモノ好きのプリンスが、ボウ・ブランメルの服装をひと目見るなり心酔してしまったのは無理もない。ダークブルーの上質なウールコート、黄褐色のブリーチェズ、白麻のクラバット。ボウ・ブランメルはベルベットやサテンを多用したプリンスのマカロニ衣装を鼻先で笑うかのように、シンプルかつ上品な着こなしでキメていた。それは華美なものはギロチン行き、リベラルなものは新しいとする当時の世相と見事に合致していた。ブランメルの無駄のない着こなしは、数10年後に確立される英国の近代メンズモードを見事に先取りしていたのである。
ブランメルがどのような基準で仕立て屋を選定したのかはハッキリしていないが、彼はコートとトラウザース、そして軍装を別々の仕立て屋で誂えていた。コーク・ストリートのシュワイツァー&デビットソン、オールドボンド・ストリートのウエストン、コンデュイ・ストリートのメイヤー&モティマーがそれだ。
・・・次回更新に続く