DANSEN FASHION 哲学 No.28 赤塚不二夫:ひとときの終末を美しく

男子專科(1972年9月号)より

赤塚不二夫氏の略歴
昭和11年大連生まれ。新潟の中学卒業後、漫画修業。「ニャロメ」「シェーッ」などの流行語を生みだし、独特のコドモ漫画で、18回文春漫画賞受賞。

悪夢のなかの主人公であるぼくら、グロテスクな現実にひたって終末を垣間みるにぴったりのNOWファッンョン

ジーパンにまつわる苦い思い出

ぼくら三十代なかばに達している男たちで金銭的に貧しい青春時代を過ごした人たちはおそらく現在のファション花ざかり的状況に、何らかのコンプレックスなり、断絶感を持っているのではないかと思う。

だいたい、三島由紀夫が赤いシャツを着て歩くことのカッコのよさをエッセイなどに書いていていた時代に、ぼくは貧しい中学生だったのだ。

東東に出できて働いてみても、映画をみるくらいが精一杯で、ファッションに気を使うことなど、考えてもみなかった。

十七、八年前のことになってしまうが、漫画家の水野英子が下関から上京し、ぼくや石森章太郎、藤子不二雄のいるアパートに入居してきた時、彼女はジーンズをはいていたと記憶する。

キレイな漫画を書くくせに、なんと男ッポイ色気のない奴だ!とびっくりしたものである。だからジーパンは大嫌いだ。あれは貧しさを看板にかかげて歩いているキッタナイものという認識しかぼくにはない。

しかし今様に解釈するならば、彼女は大変勇気のある、そしてファッションのセンスのある新人女流劇画家として最もカッコのよかった奴なのである。

それから五、六年たって、ぼくもやっと仲間に伍して漫画でメシが一人前喰えるようになってきた。

グラフィック・デザイナーの養成校があちこちにでき、児童漫画が大学生にもてはやされることがマスコミの話題になった時代だ。

ぼくのところへも漫画家になりたいという若者が次々とやってきた。面接をし、作品をみる---するとたいてい服装のシャレたカッコのいい奴ほど作品がダメであった。

ファッションに気を使うほど作品に気を使っていない、少年たちの甘さがそこにあった。だからこんな迷信がぼくたちの仲間に生まれた。

地味なまったく目立たぬ格好をして、狂ったような作品を書いている奴こそ将来の大物であると!

ここにはファッション時代から見捨てられてしまったぼくらの苦い感情が込められている。

しかしこれは一面の真実をも語ってはいないだろうか。

見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、ほんとうの物ではないのである---と坂口安吾が書いたように。

ぼくはこのことをテレビ局へ行くたびに感じたものだった。くだらない番組を作っている奴らほど、金魚のようにスタジオの中を泳いでいた。

すくなくとも漫画家の世界ではそんなことがなかった。

・・・次回更新に続く