DANSEN FASHION 哲学 No.88 大島 渚:制服だけは着たくなかった(1)

男子專科(1979年2月号)より

映画監督 大島 渚:〈略歴〉昭和7年3月京都生まれ。京大卒。処女作品は「愛と希望の街」。第2作目「青春残酷物語」が当時の’60年安保に呼応し,ヌーベルバーグとして注目される。以後「日本の夜と霧」「無理心中日本の夏」「日本春歌考」など話題作を発表。昭和51年の「愛のコリーダ」に続く53年「愛の亡霊」で、昨年度カンヌ映画祭最優秀監督賞を受賞する。

制服だけは着たくなかった

私はたしかに、世の中の大勢に逆らって生きてきた。しかし、なりふりかまわずに、ではない。いつもいつも、なりふりかまってきたものだ。それは学生運動家らしい服装・助監督らしい服装といった、いわゆる制服に対する私のプロテストであった。

虚像と実像のくいちがい

「大島さんって、おしゃれなんですね」

と、びっくりしたような顔でいわれることが時々ある。

「そんなことないですよ」

というのも自分の気持としては嘘だから、

「ええ、ぼくはおしゃれなんですよ」

と正直に答えることになる。しかし、なんとなく居心地が悪い。世の中が自分に対して持っているイメージと自分の実質がくいちがっているのは気持のいいものではない。

おしゃれではない、というふうに私のことを考えている人たちが私について持っているイメージはどんなものなのだろうか。

がむしゃらに自分の意思を通してゆく人間、そのためにはなりふりかまわず突き進んでゆく人間、そんなふうに考えられているのではないだろうか。

この、なりふりかまわず、というところに問題があるんだなあ。

たしかに、この世の中で何かをしようとする人間にはなりふりかまわずのところがある。特に世の中の大勢に逆らって何かをしようとする人間はなりふりかまわずであることが多い。そして、私はたしかに世の中の大勢に逆らって生きてきた。

学生運動もやった。27歳で映画を撮り始める時は既成の映画はいっさい認めないと宣言した。そのあとずっと独立プロの一匹狼でやってきた。不本意ながらテレビの討論会にひっぱり出されれば有事立法を叫ぶやからを相手に激論もする。

しかし、私はなりふりかまわずにいたことは一度もない。いつもいつも、なりふりかまってきた。

・・・次回更新に続く