サヴィル・ロウに妖精の粉をふりかけたスウィンギン60’Sのピーターパン(12)
元祖、本家、正統、分家が入り乱れる
最初は冷ややかな視線を浴びていた『ナッターズ オブ サヴィル・ロウ』であったが、彼らが若く新しい富裕層をサヴィル・ロウへもたらしているのを察知した老舗は、次第にトミー・ナッターを認めるようになっていった。
しかし1976年トミー・ナッターは『ナッターズ オブ サヴィル・ロウ』を突然に脱退してしまうのである。原因はいろいろ考えられるが、ヘッドカッターのエドワード・セクストンが、トミー・ナッターのアイデアをスーツに翻訳するだけの役割に飽き足らなくなったことが要因だといわれる。
エドワード・セクストンは、後にアメリカへ渡り、芸能界で多数の顧客を獲得するマスターテーラーであったから、無理もない結末といえるかもしれない。
トミー・ナッターはキルガー・フレンチ&スタンバリーに移籍。さらに5年後サヴィル・ロウ19番地に『トミー・ナッター』をオープンさせた。その後、エルトン・ジョンのステージ衣装を手がけるいっぽうで、著名なスタイリストや編集者と組んで新しいファッションの創造に貢献している。
・・・次回更新に続く