日本でそもそも「○○族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
アメリカの兵隊たちの服装
40年代「アプレ族」1945~1950
リーゼントヘアで頭を固め、サングラスにアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミはフランス語のアプレゲール(戦後という意味)からこのように呼んだ。つまり「戦後派世代」というわけで、当時はそのままアプレゲールといったり、略してアプレともいったものだ。彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカの兵隊たちのカジュアルな服装で、つまりは戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。裾の折り返しを深めにとったパンツはゆったりしたシルエットが特徴で、それにビニールベルトをあしらい、足元は派手なラバーソール靴でまとめる。カタコトの英語を会話に混ぜるのもこうしたアプレ青年たちの特徴で、女の子たちにもてようとして日系二世を気取ることから「ニセニセ(偽の二世)」と呼ばれた連中もこのアプレ族の一員だった。