日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
「JJ族」1975~1981
雑誌から生まれた族といえば「JJ族」も忘れることができない。女性週刊誌『女性自身』の頭文字をとって『JJ』という女性ファッション誌が創刊されたのは1975(昭和50)年5月のこと。ここから日本独特のファッション「ニュートラ」が発信され、それをまとうリッチ感覚のお嬢さま女子大生が「JJ族」として登場してきた。81年のベストセラーとなった『なんとなく、クリスタル』の中では、当時の有名ディスコを「ポパイ少年とJJガールの出会いの場」というように紹介している。この他に雑誌から生まれた族として「フリー族」(83)や「メンノン族」(86)もある。