日本でそもそも「○○族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
マンボ族のシンボル
50年代「マンボ族」1952~1957
音楽の流行から生まれた戦後初のファッション族、それがマンボ族だ。マンボはもともとペレス・プラードが、ルンバにキューバのリズムを加えて作り出したラテン・アメリカ音楽のひとつで、ペレス・プラード楽団の「マンボNO.5」や「セレソローサ」などのヒットによって世界的に大流行した。「ウーッ!」という掛け声が特徴のこのラテン音楽に乗って踊りまくる若者たちがマンボ族で、日本では1955(昭和30)年、マンボブームのピークを迎えている。本来のマンボスタイルはバンドマンたちのステージ衣装を模したもので、極端に肩幅の広いジャケットに、これまた極端に裾がすぼまったパンツを合わせるスタイルが特徴的だったが、一般にはそのパンツが「マンボズボン」として広まった。股上が深くとられ、腰のあたりはゆったりしているが、裾に向かうにつれて急速に細くなるこのパンツは、まさしくマンボ族のシンボルとされたものだった。