日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。

DCブランド・ブームの先駆け

年代別『ファッション族』物語:DCブランド・ブームの先駆け

80年代「カラス族」1982~1985

全身を黒一色のダブダブの服装で固めた女性たち。その異様なルックスから誰いうとなく「カラス族」の名が付いた。1981(昭和56)年10月、パリで行われた1982年春夏向けのプレタポルテ・コレクションは異様な熱気に包まれていた。パリコレ初登場の日本人デザイナー、山本耀司と川久保玲の作品に会場の誰もが圧倒されていたのだ。それまでの洋服作りの手法をまったく無視して創られた独特のデザイン。美しさというものを否定した巻きつけ、ねじれ、裏返しといったテクニック。そして何よりも黒一色の表現が「東洋の神秘」を感じさせるに十分な迫力を持っていた。こうしたファッションをそっくり真似した女性たちが最初に現われたのは81年秋、大阪でのことだった。そして、パリコレでの評判とともに82年から全国的に増え始め、ボロルック、貧乏ルックとからかわれながらも「カラス族」はますます増殖していった。これはいわゆる「DCブランド」ブームの先駆けでもあったのだ。