日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。

東京・渋谷のセンター街

年代別『ファッション族』物語:東京・渋谷のセンター街

90年代「渋カジ族」1990~1994

東京・渋谷のセンター街などに「渋谷カジュアル」略して「渋カジ」と呼ばれるファッションが台頭したのは1987(昭和62)年ころからのことである。当初は大学生を中心としたこぎれいなアメカジ・スタイルを指していたが、徐々に私立の男子高校生たちが主役に取って代わるようになり、彼らはやがてチームと呼ばれる集団を結成して、自らをチーマーと名乗り、渋谷の自警団を気取るようになっていった。チーム同士の抗争が起こったり、彼らが目の敵とするリーマン(サラリーマンの略)の殺害事件が起こるなどしたところから、マスコミはこれを「渋カジ族」の仕業などと呼ぶようになったのだ。一般にはかつての「みゆき族」などと同じように、ただあてもなく渋谷の街に集まり、地べたに座り込んでダベっている若者たちをいっていたものが、段々と先鋭化していったというのがこの「族」の実態であろう。ファッション的に見ても彼らは紺ブレ、チノパンの「渋カジ」スタイルを遠く離れたヒップホップ・スタイルが中心となっていた。