個と集団の狭間から

ファッションは自己改造の武器なのか、それとも自己表現、いいかえれば、自己拡大をはかるものなのか。無制限に増殖する中心喪失の時代の人間社会、都市空間に新しい中心を再構成する道はあるのだろうか。個と集団の調和は可能なのか 黒川紀章(建築家)

ファッションを自己改造の武器にする人間がいる・・・1

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

世のなかには、2種類の人間が存在していることを、私は常々考えています。

そのひとつが、自分に対して抵抗体を作っておく、いいかえれば、自分の周りに戦う対象を意識的に置いて生活するタイプの人間、抵抗体に挑戦することを生甲斐にしている人人です。この種の人間は、建築を例にとっていえば、自分が住みたくない場所、抵抗を感ずる環境にあえて自分を置きたがる、つまり生活に対してアクティブな行動をとる人々、という意味で都会派とか文明派とでも呼べるでしょう。このタイプに属する人間は抽象的なプランの家を好むものです。たとえば、正方形の家とか純白な家などに住みたがる。だから、家の内部も幾何学的で純粋建築空間というたたずまいをもち、塵ひとつ落ちていない。そんな家のなかに、ぽんとブロンズや雪花石膏(アラバスタ)の彫像などが置いてある。建築雑誌を見るとそんな家によくお目にかかります。計算も行き届き、整理されているけれど、無理しているな、と感ずるのは、私が建築家だからでしょうが、これもひとつの生き方として否定できないし、そうすることは素晴らしいと思います。彼らにとってはそのような家は別に固苦しくも住みづらくもないのでしょう。いやむしろ、そういう純粋空間のほうが心安まるのかもしれません。

・・・次回更新に続く