ファッションを自己改造の武器にする人間がいる・・・2

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

目に見えず、把えどころのない精神というものが、目に見えるもので改造できるかもしれない。こう考えたのが三島由紀夫氏でした。だから、彼はまずボディビルをやり筋肉の発達をうながし、そのあとで武道にいそしんだのでしょう。この手順を踏んで完壁な肉体をつくれば、精神も改造できるし、自分の柔弱な精神もたくましくなる、だから彼はアポロ的な肉体の持主にのみふさわしい軍服を着用するに到ったと想像できます。服に限らず、彼が住んでいたスペイン風の家と彼の文学作品と密接な関係があったのは確かです。つまり、肉体の鍛練、純粋な建築空間、きらびやかなレトリックで、精神を外側から締めつけ、つくり変えて行った典型的な実例が、三島由紀夫であったといえるでしょう。

そんな意味からいえば、私も今まではこのような考え方をするタイプの人間であったかもしれません。つまり、ファッションも建築も、自分そのものではない、したがって、それらで自分自身を表現したいと思わない、逆に洋服や建築は、自分の精神を内部に閉じ込め、改造する武器である、と考えてきたわけです。

ある面からいえば、建築の世界は非常に生臭い情念の森であり、地獄から極楽までの変化の舞台であり、そのなかでは炎熱地獄の谷のイメージから、宇宙へはばたくような抽象的純粋イメージまで渦を巻いている、これが私の心の内部であり、まかり間違えば体が粉粉になって、数億光年の彼方にまで飛び散ってしまうのではないか、と不安になる毎日なのです。こうした沸き立っている原エネルギー、盲目なる生命力、精神を、きちんと縛りつけ、人間の形にしておきたいのです。私がいつもスリーピースでドレス・アップしているのも自分の肉体が精神の業火に焼き焦がされないための保障でもあり、その意志の象徴でもあるわけです。こうして私の心は安らかになる、つまり、装いは一種の精神安定剤でもあるといえるでしょう。

・・・次回更新に続く