個と集団の調和が私に課せられたテーマ・・・1

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

この2つの傾向は、私の場合交互に出現するようです。たとえば「カプセル」という構造は、ジーパン派の発想です。この考え方は、「全体」という概念を止め、ひとりひとりの人間が、各々ひとつの部屋(カプセル)を持ち、目的を同じくする人々が、必要に応じてカプセルを結合させ、ひとつの構造物を作りあげて行こうとする方法です。つまり、都市の人間生活の変化に即応して、都市の構造を変える、たとえていえば、ウエストが太ったら新しいズボンに代えるのと同じであり、これをメタボリズムと呼んでいます。

しかし、カプセルをどんどん結合して行ったら都市はどうなるのか。カプセルが無制限に増殖して行くと都市と郊外、国境、地球と宇宙の境がわからなくなってしまう。前述したような自分の精神と肉体がバラバラになる恐怖と同じ不安が生まれてくるわけです。つまり、建築家として、「カプセルの時代」「個人の時代」「個性の時代」の建築を推進して行くにつれ、都市の建築はこれでいいのかという反省があって当然のことです。自分の作り出したものにおびえることほど喜劇的なことはありません。ところが幸いなことに、人間は盲目的に自己増殖するものに対して「NO」を叫ぶ権利、能力、自由があります。具体的にいえば、爆発的な人口増加の抑制、無計画な自然破壊の禁止、有限な地球資源を無視した経済活動の修正など、制御系の乱れで勝手に自己増殖してきた人間社会に、新しいタガをはめよう、それにはどうしたらいいかという方法論を見出そうとする生態学的な立場があってしかるべきです。これはスリーピースを着て、外側から精神の自己規制をはかるのと同じ考え方に立つものです。

・・・次回更新に続く