個と集団の調和が私に課せられたテーマ・・・2

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

このような限定の思想を盛り込んだ作品を最近次々に手がけてきました。たとえば、福岡銀行本店ビル、日本赤十字社本社ビル、ビッグボックスといった作品群のなかに、従来の「カプセル志向」の建築とは違った空間の処理を施しているのに、気づかれた方も多いと思います。それはバラバラに空中分解してしまいそうな現代社会を、秩序あるものに再構成するための動因を、建築的にいえば、かつて西欧都市に広場があり、日本には道や路地があって、そこでくり拡げられる催物や祭によって人々の心をまとめていたように、建築を設計し建設することで、新しい広場を作り、人と人とのつき合いを大事にする社会を構築したい、という意図があるわけです。私はカプセル派(つまりジーパン派)というよりは、むしろこの限定派に属しているのかも知れません。しかし、建築界ではジーパン派よりも、建築を芸術と考えるこの派のほうが多いのです。だから私は意識的にそうした考え方を打破するよう努めてきたわけです。しかし、今となってみれば、「カプセル」的な方法論の役割は、その使命を終えつつある。そして、その方向が健全なあり方から逸脱して行けば、私はそれに歯止めをかける側に回らざるを得ない。つまり、あるやり方に限界が見えたら、別の方法論をもってアプローチする柔軟な姿勢を常にとりたい(なぜなら、創造にとって、価値の等価性は必要条件だからなのです)。したがって、私は一方では非常にスクエアな生活をしている、すなわち、スリーピースに身を固め、自ら大都会の入り組んだ社会機構にはいり込み、汚れ、傷つきなながら、150人の社員を率いてビジネス・ライクな生活をしている。その反面、非常に堕落した生活をしているのかもしれません。今のところ1ヵ所で生活できたためしがない。子供が親の顔を忘れてしまうなんてよいことではありません。そんな意味では家庭破壊者でもあるわけです。あるとき、ブルガリアで国賓待遇の暮らしをした直後、アメリカで浮浪者に間違えられて不審尋問されている。そして、東京に帰れば経営者として150人の面倒を見なければならない。しかも、私はこの組織がなければ本質的に生きられない、したがって、野坂昭如や永六輔にはなれない。いいかえればひとりで気ままに放浪できない情況にある。しかし、大きな目で見れば、私は私の150人の仲間と組織ぐるみ地球を漂流しているともいえるのです。アフリカで仕事をしたいと思えば仲間を連れて仕事を捜しに行く、イタリアでは大規模な都市計画の仕事を続行中・・・・・・。

もうお分りいただけたでしょうが、私は技術主義者でもなければ芸術至上主義でもない。むしろ両者の垣根をとり除き、人間にとっていちばん役立つもの、人々がよろこんでくれるものをつくり出したい。そこには右も左もない。そんなわけで私は不利な戦いをすすめてきたし、今後もそうせざるを得ない。ひるがえって、ファッションについて考えるとき、私の創造の哲学はいかがなものでしょうか。

・・・了