日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
日劇ウエスタン・カーニバル
50~60年代「ロカビリー族」1956~1960
ロックンロールとカントリー音楽のヒルビリーを混ぜて生まれたとされるロカビリー。その誕生は1956年のエルヴィス・プレスリーの一連のヒット曲、たとえば「ハート・ブレイク・ホテル」などあたりからとされるが、日本ではマンボやカリプソのブームの後を受けて、1957年後半ごろからようやくロカビリーに目が向けられるようになってきた。そして1958年2月に行われた「第1回日劇ウエスタン・カーニバル」によって、ロカビリー・ブームは頂点に達する。山下敬二郎、平尾昌章(現・昌晃)、ミッキー・カーチスのロカビリー三人男たちのプレイに酔い痴れるロカビリー族の女の子たちはテープはおろか下着まで投げつけ、ステージに押し寄せて歌手に抱きついた。こうしたティーンエージャーのハレンチな行動を見たマスコミはすぐさま批判に走ったものだが、ロカビリーの人気は冷めず、いわゆるジャズ喫茶のブームを呼んで、その後も広がっていった。