DANSEN FASHION 哲学 No.27 澁澤龍彦:わが夢想のお洒落(9)
消費の哲学など及びもつかない一場の夢
こう書けば、私でなくても、室町時代の「ばさら」趣味にあやかりたい、その時代の絢欄豪華たる空気をほんの少しでも呼吸してみたい、と思う者は多いであろう。そして、私がこの時代をあえて日本のルネッサンスと呼んだことに対しても、なるほどと頷かれることであろう。
残念ながら、一九七〇年代の経済成長下の日本においては、このような自信満々たる哲学とモラルの上に立脚した、豪放な消費生活を営むことが不可能となっている。なるほど、世は挙げて消費生活に没頭しているとはいうものの、私たちには、それを裏づけるだけのモラル上の確信が決定的に欠けているのである。これはまことに情ない話ではあるが、私たちがすでに貴族でもなければ武士でもない以上、やむを得ないことであろう。
消費の哲学については、サルトルが「ジャン・ジュネ論」のなかで、うまいくとを言っているから次に引用しておこう。つまり、「消費の極致は、富を享受することなく破壊することだ」というのである。そして「富の生産者ではない貴族は、獲得した富を破壊しながら、同時に自分がこの世の富の上に位するという、ひそかな満足を経験する」というのである。なるほど、建てたかと思うとすぐ戦乱で焼けてしまう、室町時代の京都のおびただしい寺院建築の記録などを眺めていると、そんな気もしてくるから妙だ。
・・・次回更新に続く