ファッションが自分の肉体の一部になった人間がいる

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

DANSEN FASHION 哲学 No.50 黒川紀章:個と集団の狭間から・・・男子專科(1975年1月号)より

精神の改造を目指す一派とはまるで逆の立場の人間がいるのは当然です。彼らは自己改造なんかとんでもない、自分が世界である。自分の生活の方法を、自分の感情を、思想をごく自然に世界へ向けて押し出して行こうと考え、自分の肉体を鍛練し、均整のとれた体に仕立て、精神をその枠のなかに押えこもうと決してしない。つまり、自分そのものを拡大発展させようとするタイプの人間で、これをジーパン派と呼んでもいいでしょう。

彼らは自分の肌に近いものや自然に近いものを着用しようとするのです。また気分のままに、たとえば下着がファッションになってしまう。いいかえれば、彼らにとって肉体とファッションは連結したもの、下着は体の一部である、といえるでしょう。だから、彼らの好む素材は、肌に近いもの、天然に近いもの、植物や空気に近いものであるのも当然です。これも確かにひとつの考え方で、世界には、精神改造の一派とこの考え方の2つが代表的なライフ・スタイルであるのです。

本音をいえば私はその両方がやりたい。スーツで精神を閉じ込めることも、Tシャツを着て、心のおもむくままに自然に生きたいとも思うのです。思想の面からいえば、この両派は対立していていい。ひとりの人間のなかで2つの立場が相克していい。しかし、意識的にファッションを語り、建築を語る場合には、前者の立場をとらざるを得ないのです。そうしなければ、私は生きて行けない。極端にいえば、自分がバラバラになって、私の背広だけが残ったということになりかねない、恐るべき不安があるのです。

・・・次回更新に続く