日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
「反戦」と「自然回帰」
60~70年代「ヒッピー族」1967~1971
アメリカに生まれたヒッピーを模した日本の若者たち。本場のヒッピーは1966(昭和41)年の夏、サンフランシスコの貧民街ヘイト・アシュベリーにおける黒人暴動をきっかけに生まれたとされるが、日本への紹介は1967(昭和42)年に入ってからのこと。それも長髪にヒゲ、ハダシ、またカフタンなど中近東風のシャツやジーンズといった外観的なことだけが強調され、「反戦」とか「自然回帰」といったヒッピー本来の思想まではなかなか理解されることはなかった。つまり、日本でのヒッピーとは一般的にはただの流行現象のひとつに過ぎなかったのである。ヒッピーと気取って言うよりも、アングラ族とかサイケ族、またフーテン族といった名で呼ばれるほうが、日本のヒッピーの実情には合っているのかもしれない。1968年になってアメリカでは政治的前衛派のヒッピーを「イッピー」と呼ぶ傾向が生まれているが、これは日本ではまったく話題にもならなかったのだ。