昨日と今日の男の博物誌:ウッディ・アレン

男子專科 1986年7月号 NO.268 より

ウッディ・アレン(アメリカ:俳優・監督・作家:1935~)-1

高卒だって?30年遅いね。

絶妙のおかしさに笑ったあとから、なにやら恐ろしげでシリアスなものが追いかけてくる。こんな奇妙で、新鮮な気分を与えてくれるのが上質なコメディだと思うのですが。残念ながら、いまの日本ではそんな出会いを愉しむことはできません。

お笑いタレントと呼ばれるテレビ種族たちがふりまく「お笑い」は腐るほどころがっていても、人のココロにぐさりと容赦なく突きささってくる「笑い」がない。テレビのお笑い番親が飽きもせずに提供してくれるお笑い三.題バナシといえば、揚げ足とりに、弱い者いじめに、バカさ比べ。早い話が、ちょっとばかり気の利いた悪ふざけをやっているにすぎないわけで、この程度のことでよく笑えるものだと不思議な気がする。お笑いタレント連中のやってることといえば、一見ハチャメチャのように見えますが、ひと皮むけばなんのことはない。テレビ局ならびにスポンサー各位によって用意されたシナリオに従い、その期待に応えるべくただひたすらお笑い奴隷と化しているだけなのですから、これはもう「いい子」をやってるのと変わらないわけです。

シラけますよね。いい子になることを拒否するところから「笑い」ははじまると思うのですが、そんな度胸はノミほどもないときている。反抗・不条理・冒険という「笑い」にとってなくてはならない3大栄養分を欠いてしまっているわけですから、あれはお笑いじゃなくて、じつはただのひと騒ぎにすざない。中学生の悪ガキどもが教室で繰りひろげているバカ騒ぎの拡大されたものが、いまのお笑い番組になっていると、言ってもいいでしょう。ガキがテレビを模倣しているんじゃなくて、テレビがガキを模倣しているというわけです。

なんとも情けないハナシです。

ウッディ・アレンの作った『カメレオンマン』という映画じゃありませんが、主人公の変身症人間ゼリグのように、コメディの天才・アレンおじさんに変身を遂げてみたいと願う笑いの冒険者は、どこにもいないのでしょうか。

・・・次回更新に続く