日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。

シャコタンと若者集団

年代別『ファッション族』物語:シャコタンと若者集団

70年代「暴走族」1971

「特攻服」などと呼ばれる独特の衣装を身につけて、改造オートバイやシャコタン(車高の低い)の4輪車などを乗り回す傍若無人な若者集団。そのルーツは1950年代の「カミナリ族」とか「マッハ族」などと呼ばれた若者たちにあるが、1970年代からはより過激な行動をとるようになって「暴走族」と名を変えた。革ジャンにデニムパンツでただ憂さ晴らしに街中を走り回るカミナリ族とはちがって、「暴走族」たちの特徴は何よりもその先鋭化した集団行動にあり、それぞれに「ブラックエンペラー」とか「極悪」といった独特のグループ名を持っているのも、彼らの特徴であった。ソリ込みを入れたリーゼントヘアに鉢巻、フォックススタイルのサングラスといった顔付きはツッパリ少年そのもので、いわゆるヤンキーとも同一視される。これに共感する女の子たちも注目すべき存在で、彼女たちのヘアメイクや特有の服装は、ヤンキーガール・ファッションとして今に続いている。