日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
二大女性ファッション誌の時代
70年代「アンノン族」1971~1978
女性ファッションの二大ライバル誌『アンアン』と『ノンノ』から生まれた若い女性たち。彼女たちはこの雑誌が発信する日本の観光地を旅して回り、「アンノン族」という異称で呼ばれるようになった。それまでの常識を打ち破る新感覚のファッション雑誌として当時の平凡出版(現マガジンハウス)から1970(昭和45)年2月に創刊されたのが『アンアン』、翌年6月には集英社から『ノンノ』が創刊され、ここに日本を代表する二大女性ファッション誌の時代が誕生する。ちょうどこのころ国鉄(現JR)が提唱する「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンが始まり、国内旅行のブームに火が付いた。『アンアン』『ノンノ』の両誌はこれに目を付けて日本各地の食べ歩き、名店情報を毎号紹介する。これによって観光地は両誌のどちらかを小脇に抱えた若い女性たちに占拠されるようになったのだ。ただ歩き回るだけで金を落とさない彼女たちの行動は、やがて「アンノン公害」とまで揶揄されるようになるが、雑誌から生まれた「族」第1号として記憶にとどめておきたい。