HENRY POOLE:世界のセレブが頼りにする幸福を運ぶアゲアゲ・テーラー・・・1
創業200年余の老舗。この店はブリティッシュグリーンで統一された日除けのキャンバス地にさえ、いわくがありそうだ。ヘンリー・プールを巡る数々の伝説のなかで、筆者にはひとつ確かめたいものがあった。それは、『ヘンリー・プールにはハウススタイルがない。にもかかわらず出来上がってきたスーツにはヘンリー・プールらしさがそこはかとなく滲み出ている』というものだ。
7代目のオーナー、サイモン・カンディに聞いてみると「その通りです。ハウススタイルにこだわって、ひとつの型にはめる考え方はしていません。そのかわりに私たちのテイストは、顧客のベストなバランスを補強していくことなのです。なで肩であれば衿の刻み位置をあげるとか、いかり肩なら丸みを与えるためのパッドを入れるし、背の低い方なら背筋が伸びているように見せるなど、細かなスキルがたくさん蓄積されているのです。使い捨ての服ではないので、常に永く着ていただくことを前提にした服作りに努めています。トレンドを無視はしませんが、パッと見てそのことが分かるような取り入れ方を好むお客様は少ないので」
1950年代に2インチのナローラペルが流行したとき、プールのラペル幅は2. 5インチであった。1970年代、5インチのワイドラペルのとき、プールは4インチ。この店の基準は、いつの時代もセレブのスタンダードであったという。
『ダンディ論』のところでも触れたが、ヘンリー・プールはプリンスオブ ウェールズ、後のエドワード7世御用達テーラーとして有名だった。しかしサイモンによると、店にとって重要な顧客がもうひとりいるのだそうだ。それがナポレオン3世である。彼の話を要約すると、ナポレオンの失脚後、フランスから甥のルイ・ナポレオンがロンドンへ落ち延びてきた。これを助けたのがロスチャイルド一族のひとりで著名な銀行家のメイヤー男爵だ。男爵は、仕立て屋でありながらメンズクラブのような形態を保っていたヘンリー・プールの顧客でもあったから、ルイを連れていく。彼もそこで資金を募ったり、服を仕立てたりして時を過ごす。するとどうだろう、フランスの新政治体制はにわかにくずれ、再びナポレオン待望論が復活。彼は大統領、さらには王政復古に担ぎ出され、3世になったのである。ヘンリー・プールは最初のロイヤル・ワラントを賜ることになった。
・・・【英国スペシャル・遠山周平の仕立て屋を巡る冒険:HENRY POOLE】次回更新に続く