RICHARD ANDERSON:揺るぎない技術が経営を支える新星テーラーの『古くて新しい』哲学・・・1
第二次世界大戦以降、既製服の工業ライン技術は飛躍的に向上し、オーダーメイドの危機が叫ばれた。事実、職人賃金の高騰などで中堅の仕立て屋は淘汰され、生き残ったのは富裕層を相手にするサヴィル・ロウなど、わずかなテーラーになった。しかしその後も幾度かの危機が襲い、そのたびに若手テーラーが台頭してここが立ち直るきっかけを作ったのである。
1960年代にフレンチデザイナーが活躍した頃にはトミー・ナッターが登場。80年代後半は富裕層がアルマーニに傾倒し、リセッションも来た。そのときはニューテーラーリングムーブメントが起こり、サヴィル・ロウを活性化させた。そして現代、リチャード・アンダーソンがここに、『古くて新しい』サクセス方程式を持ち込もうとして注目されている。
サヴィル・ロウで慢性的に不足しているのが腕の良いマスターテーラーの存在だ。カッターは、まず縫製技術の初歩を訓練された後、採寸、パターン、裁断などをひと通り学ぶ。それが最低でも10年かかる。
そこでサヴィル・ロウではアカデミーなどから200人余のトレーナー(訓練生)を募集する。だが訓練生がサヴィル・ロウに残らないのは、成功の道を昇る階段が不透明だからだ。現場の叩き上げが最終的に一国一城の主になれる模範例がもし示されるなら、サヴィル・ロウの積年の問題は解決できるであろう。
リチャード・アンダーソンはハンツマンの元ヘッドカッターだった。17歳でこの道に入った彼は、ハンツマンの裁断技術を支えた3人の伝説的な人物によってスキルを習得する。コーリン・ハミックとブライアン・ホールからコートを、リチャード・ラッキーにはトラウザースの裁断を伝授されたのである。そして34歳という異例の若さでヘッドカッターに抜擢。さらに独立し、サヴィル・ロウに店を構えたサクセスストーリーは、若い職人たちに夢と勇気を与えたはずだ。しかも彼は、店頭で裁断の腕を奮いながら、経営を把握する技術屋兼オーナーである。この店に腕の良い職人が自然に集まるのは、オーナー自身がモノ作りの苦労を知っているからであろう。
・・・【英国スペシャル・遠山周平の仕立て屋を巡る冒険:RICHARD ANDERSON】次回更新に続く