日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。
金持ちのお坊ちゃんやお嬢ちゃん
50~60年代「六本木族」1957~1963
昭和30年代当時の六本木は、東京の他の街とは異なる一種独特の雰囲気を放っていた。一言で言うなら「異国情緒」。そんなエキゾチックタウンに金持ちのお坊ちゃんやお嬢ちゃん、芸能人や文化人などが集まるようになったのは1957(昭和32)年ころからのことだった。彼らの目的は「キャンティ」や「ニコラス」「ハンバーガーイン」といったいかにもエキゾチックなレストランにたむろし、深夜の六本木の街を徘徊することだった。ここに今でいうセレブな六本木族の気分が醸成されたのだが、1961(昭和36)年ごろから様子がちょっとおかしくなってくる。日本生まれのリズム音楽「ドドンパ」の流行から、六本木でドドンパを踊る若者たちが増え、こうした正統派ではない連中を「六本木族」とマスコミが喧伝するようになったのだ。そして翌年の「ツイスト」の流行で、六本木族の風俗化はさらに進んでゆく。この中で生まれた「野獣会」のことも今となってはなつかしい思い出だ。