アロハシャツにサングラス
戦後婦人服のファッションリーダー第1号となったのは、パンパンと呼ばれる進駐軍兵士相手の私娼たちだった。彼女たちはアメリカ製の派手な色柄のフレアースカートなどを着用し、真っ赤な口紅、どぎついアイラインといったメイクで客の気を引いた。一般の女性たちが「更生服」などと呼ばれるキモノを改造した洋服やモンペに身を固めている時代にあって、こうしたパンパン・ルックは安っぽくてペラペラした印象のものではあったけれど、十分に魅力的なファッションでもあった。そこには戦勝国アメリカに対するあこがれの気分があったのだ。それは男たちも同様で、日系二世を気取るニセニセという不良青年が登場し、リーゼントヘアにサングラス、アロハシャツといった当時最新のアメリカ風俗を積極的に取り入れた。これが後に「アプレゲール(戦後派)」と呼ばれるようになるが、良くも悪くも戦後間もなくのころはアメリカン・スタイル一辺倒の時代が続いたのである。