日本でそもそも「◯◯族」という言葉が使われた最初は、1948(昭和23)年の「斜陽族」からだという。太宰治の小説『斜陽』(1947年12月刊)から出たもので、第2次世界大戦後に没落した上流階級の人たちをそう呼んでおり、これは48年6月、太宰治が玉川上水で心中事件を起こしたところから、一気に広がったものだ。これが51年には会社の車を乗り回し、高級料亭で遊びまくる「社用族」というように転用されるようになるが、日本における「族」の歴史なんてそんなものだったのだ。いずれもファッションとはなんの関係もないが、徒党を組んでとんでもないことをやらかす若者集団という意味では、やはり「太陽族」を日本の「族」の元祖としなければならないだろう。そして、そのリーダーと目された青年こそ石原慎太郎氏(元・東京都知事)であったのだ。

ニャンニャン踊りの中高生

年代別『ファッション族』物語:ニャンニャン踊りの中高生

70〜80年代「竹の子族」1979~1981

「ローラー族」と同じように1970年代末から80年代初頭にかけて、原宿ホコ天を舞台に踊り狂っていた若者集団。踊りといっても、こちらはアバやノーランズのディスコ音楽や日本のアイドルの歌謡曲に合わせて踊るその名も「ニャンニャン踊り」というもので、中心になっているのも17歳以下の中高生がほとんどであった。「竹の子族」という名は彼らが着用する衣装の提供者である原宿のブティック「竹の子」からきたもので、ちなみにここの店主は大竹竹則という。日本の古代の服装というか中近東風というか、とにかく派手な原色調のペラペラした衣装に身を固めて、集団で踊りまくるその姿には、一種異様な雰囲気も感じられた。彼らは元々映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(78年作品)に触発されて生まれた「ディスコ族」の一員で、最初は新宿や六本木のディスコで踊っていたのだが、その奇抜な衣装のせいで追い出されて原宿に流れてきたというのが真相とされる。