「取るに足らぬこと、些細なこと」を英語でトリビア trivia といい、当時のテレビ番組『トリビアの泉』以来、大変な雑学、蘊蓄ブームを巻き起こすようになっているが、ファッションの世界にはこれに類するトリビアがことのほか多く見受けられる。たとえば「腹巻き」は16世紀のヨーロッパで生まれ、日本では明治時代にキモノから洋服に変化したときに帯の代わりに用いられたという。またトートバッグはもともとキャンプ地で水を運ぶために使われていた、というのもこれを知らない人にとっては「目からウロコ」の話となるだろう。ファッションに関するトリビアは語源や発生にまつわる話が多いけれど、それを知っているとつい誰かに自慢したくなるものだ。それこそトリビアのトリビアたるゆえんなのだが、あの女性ファッション誌『JJ』のタイトルが「女性自身」のアルファベット綴りの略からきているって知っていました?
プロのファッションモデルはこうして誕生した
日本でプロのファッションモデルが誕生したのは1951(昭和26)年のこと。1949(昭和24)年に来日したニューヨークのデザイナー、ティナ・リーサを記念して作られた「ティナ・リーサ賞」の入選作を発表するショーのためのモデルを毎日新聞社が募集したのだ。これには2000人の応募があり、最終的に20人前後の女性が選ばれて「毎日ファッションガールズ」と名付けられた。これが日本最初のプロ・モデルで、この中には1953(昭和28)年にミスユニバース第3位に入賞し、「八頭身」ブームを起こした伊東絹子もいた。「毎日ファッションガールズ」は翌年「ティナ・リーサ賞」が中止になった時点で解散し、「東京ファッション・モデルクラブ(TFMC)」というこれまた我国初のモデルクラブを結成する。それまでショーのモデルといえば、ダンサーやキャバレーのホステスなどが代行していた時代と比べると、職業モデルの誕生というのは大変な出来事だったのである。