服装の流行は、まず「モード」として現われる。ここでいうモードとは「最新型」という意味で、デザイナーによる「創作」などがここに含まれる。これが流行に敏感な人たちの支持を得て拡大すると、「ファッション」と呼ばれるようになるのだ。ここでのファッションとはまさしく「流行」の意味。そして、ファッションがさらに普及し、大衆の間で定着を見るようになると、これは「スタイル」という言葉に置き換わる。スタイルとは、すなわち「定型」とか「様式」の意味。これを「流行の三角構造」などと呼んでおり、ファッション界では常識的な考え方となっているのだが、実際にはモード、ファッション、スタイルの使い分けはこれほど明確には行われてはいない。近ごろの流行を見ていると、モードとして生まれてはみたけれど、ファッションになるまでに消滅してしまう例が驚くほど多いことに気づく。これを「ファド」とか「クレイズ」と呼ぶことも覚えておきたい。

横浜発のニュートラ・ファッションとして全国に波及

年代別『流行ファッション』物語:横浜発のニュートラ・ファッションとして全国に波及

「ハマトラ」1979

女性ファッション誌『JJ』の徹底した編集方針のせいもあって、「ニュートラ」ファッションは全国的な広がりを見せたが、4、5年も経つと飽きられてくるのも自然の成り行き。そこで『JJ』が次に目をつけたのが横浜だった。神戸と同じ港町で、伝統的な香りもある。第一、横浜には神戸と同じく元町があった。そうして誕生したのが「ヨコハマ・トラディショナル」、略して「ハマトラ」である。イメージ・ターゲットは横浜・山手にある名門女子大学・フェリス女学院の学生たち。そして彼女たちがよくショッピングに出向く元町の老舗の商品が「ハマトラ」ファッションの定番とされるようになった。フクゾーのポロシャツに巻きスカート、ミハマのペッタンコ靴、キタムラのバッグといった横浜オリジナルのブランド商品がそれで、これらは横浜発のニュートラとして再び全国に波及していった。今に続くコンサバ・エレガンスの流れは、こうして花開いていったのである。