服装の流行は、まず「モード」として現われる。ここでいうモードとは「最新型」という意味で、デザイナーによる「創作」などがここに含まれる。これが流行に敏感な人たちの支持を得て拡大すると、「ファッション」と呼ばれるようになるのだ。ここでのファッションとはまさしく「流行」の意味。そして、ファッションがさらに普及し、大衆の間で定着を見るようになると、これは「スタイル」という言葉に置き換わる。スタイルとは、すなわち「定型」とか「様式」の意味。これを「流行の三角構造」などと呼んでおり、ファッション界では常識的な考え方となっているのだが、実際にはモード、ファッション、スタイルの使い分けはこれほど明確には行われてはいない。近ごろの流行を見ていると、モードとして生まれてはみたけれど、ファッションになるまでに消滅してしまう例が驚くほど多いことに気づく。これを「ファド」とか「クレイズ」と呼ぶことも覚えておきたい。
日本のツッパリ族の元祖だった
1940年代:「予科練スタイル」1945~1947
1945(昭和20)年8月15日、第2次世界大戦は日本の敗戦をもって終わったけれど、人々の生活は困窮をきわめ、生きていくのにも必死の状態だった。こんな状況の中ではファッションの流行などとても考えられないと思うだろうが、どっこい、若者たちは独自のファッションを生み出していた。それが航空兵の養成機関であった予科練(海軍予科練習生の略)の飛行服姿である。戦前の軍隊の飛行機乗りといえば少年たちのあこがれの的。ツッパッた若者たちはどこで手に入れたのか飛行服に半長靴、白いマフラーという特攻隊もどきの格好で、戦後の闇市を歩き回ったのだ。これを「予科練スタイル」と呼んでいるが、彼らこそ日本のツッパリ族の元祖だったのである。外地から引き揚げてきた元・兵隊たちは軍服をそのまま着用し、これは「復員兵スタイル」などと呼ばれていたが、同じ軍服使用の格好でも両者はまったく異なる性格を持っていたのであった。