服装の流行は、まず「モード」として現われる。ここでいうモードとは「最新型」という意味で、デザイナーによる「創作」などがここに含まれる。これが流行に敏感な人たちの支持を得て拡大すると、「ファッション」と呼ばれるようになるのだ。ここでのファッションとはまさしく「流行」の意味。そして、ファッションがさらに普及し、大衆の間で定着を見るようになると、これは「スタイル」という言葉に置き換わる。スタイルとは、すなわち「定型」とか「様式」の意味。これを「流行の三角構造」などと呼んでおり、ファッション界では常識的な考え方となっているのだが、実際にはモード、ファッション、スタイルの使い分けはこれほど明確には行われてはいない。近ごろの流行を見ていると、モードとして生まれてはみたけれど、ファッションになるまでに消滅してしまう例が驚くほど多いことに気づく。これを「ファド」とか「クレイズ」と呼ぶことも覚えておきたい。
若者による反抗的なファッション
海外の1950年代ファッション・トピックス:「テディ・ボーイ」1951~1955
第2次世界大戦後の若者による反抗的な動きは、まずイギリスで始まった。アングリー・ヤングメン(怒れる若者たち)と呼ばれた当時のイギリスの若者たちは、社会に対する反抗の姿勢をファッションで示し始めたのだ。その第1弾とされるのが「テディ・ボーイ」と呼ばれる10代の労働階級の若者たちで、彼らの奇抜な服装によってそれまでの堅苦しいイギリスの男たちのイメージは完全に塗り替えられた。エドワーディアン・ジャケットと呼ばれる古典的な丈の長い上着に、ごく細身のドレーンパイプと呼ばれるパンツをはき、頭をダックス・アス(あひるのお尻)というリーゼントヘアで固め、足元はブローセルクリーパーという厚底の靴で決めるというのが、彼らの典型的なスタイル。これはそれまで良家のお坊ちゃんたちに好まれていたエドワーディアン・ルックを徹底的に茶化して誕生したものという。彼らを「テッズ」と呼ぶこともあるが、テディともどもこれはエドワードの愛称からきている。