服装の流行は、まず「モード」として現われる。ここでいうモードとは「最新型」という意味で、デザイナーによる「創作」などがここに含まれる。これが流行に敏感な人たちの支持を得て拡大すると、「ファッション」と呼ばれるようになるのだ。ここでのファッションとはまさしく「流行」の意味。そして、ファッションがさらに普及し、大衆の間で定着を見るようになると、これは「スタイル」という言葉に置き換わる。スタイルとは、すなわち「定型」とか「様式」の意味。これを「流行の三角構造」などと呼んでおり、ファッション界では常識的な考え方となっているのだが、実際にはモード、ファッション、スタイルの使い分けはこれほど明確には行われてはいない。近ごろの流行を見ていると、モードとして生まれてはみたけれど、ファッションになるまでに消滅してしまう例が驚くほど多いことに気づく。これを「ファド」とか「クレイズ」と呼ぶことも覚えておきたい。

50年代の婦人服ファッションの流れは「ラインの時代」

年代別『流行ファッション』物語:50年代の婦人服ファッションの流れは「ラインの時代」

「アルファベット・ライン」1954~1958

1950年代の婦人服流行のカギはパリのオートクチュールが握っていた。オートクチュールというのは「高級注文服」のことで、メゾンの主であるデザイナーたちは年2回のシーズン毎に新しいラインを打ち出し、そのトレンドの高さを競い合っていた。50年代の婦人服ファッションの流れを「ラインの時代」と形容するのはそのせいである。1953年春夏のクリスチャン・ディオールが打ち出した「チューリップ・ライン」などが代表的なものだが、1954年秋冬にディオールが「Hライン」、ジャック・ファットが「Sライン」と呼ばれる新しくわかりやすいラインを発表。ここから他のデザイナーもアルファベットを冠したラインをやたらと作るようになった。1955年春夏にはディオールが「Aライン」を打ち出し、大変な評判をとる。世界のファッション・ジャーナリストが次のラインを予測する競争が話題となったのもこのころのこと。H、Aときたら次はHAPPYのPだろうという予測に反して、ディオールが1955年秋冬に発表したのは「Yライン」だった。